Thurston Moore/Chris Corsano/Paul Flaherty/Wally Shoup『The ROADHOUSE Session vol.1』

え〜、まずこのCDについて語る前に、社会人レコードの主であるジム・オルークのレビューを引用します。

銀河を眺めるたびに考えていた。あそこへ行ってグルグル渦巻きの中を泳いだら、一体どんな音が自分を通り過ぎていくのだろう?想像だけの世界だったけれど、この音楽が答を教えてくれた。夢の心で鳴り響いていたサウンドを、耳だけでなく体中で聴くことができるんだ。

ジム・オルークは嘘をついてはいないと思います。このCDは要するに、カオスであり、ディオニソスなんです。おそらく私達は、音楽に何かしらの意味なり、雰囲気といったものを感じ取ると思うのですが、このCDに収められている三曲には、そういったものを感じ取ったり、自分から投影したりすることができません。まぁ、それをジム・オルークのように、宇宙的ということもできましょうし、ベンヤミンに倣って、沼沢的ということもできましょう。
とはいえ、別にそれをマスターベーション的と言い換えても、なんら問題はないわけで、実際、僕が聴き通して想像していたのは、バンドを始めたばかりの連中が、楽器をめちゃくちゃに鳴らして楽しんでいる絵図でした。この人たちはプロなので、こういった無秩序に見えるものを、再現することも可能なのでしょうが、再現できれば音楽なのか、という問題があります。
僕がThurston Mooreに関して、唯一感心できないのは「実験的音楽」(あるいはエクスペリメンタル・ミュージック)というものをベタに信じていること。まぁ、画一的な音楽環境の中では、そういった言葉も意味を持ち得ましょうが、これだけ多くのジャンルが既に存在し、市民権を得ているような状況で「実験的」なことをしようと思えば、こういったわけの分からないものになるのは無理からぬことだと思うのです。要するに、今、「実験的」なことを成功させるのは現実的に難しいということですね。
しかし、音楽マニアみたいな人たちが聴くには良いかも知れない。彼らは僕なんかよりも、砕け散った瓦礫たちが束の間作る星座を見出す能力に長けているでしょうから。僕にはカオスにしか聴こえなくても、そういった人たちになら秩序だったアポロン的な音楽に聴こえるかもしれないです。無論、カオスだから良いんだよ、という人たちにとって、このCDは福音となりましょう。

The ROADHOUSE Session Vol.1

The ROADHOUSE Session Vol.1

  • アーティスト: クリス・コルサノ,ポール・フラハーティ,ウォーリー・シャウプ・4テットサーストン・ムーア,サーストン・ムーア,ポール・フラハーティ,クリス・コルサノ,ウォーリー・シャウプ
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2007/10/24
  • メディア: CD
  • 購入: 1人 クリック: 5回
  • この商品を含むブログ (12件) を見る