三原弟平「「事実−観察」の諸相」(『カフカ解読−徹底討議「カフカ」シンポジウム』所収)

カフカが描いた絵(ふたつに引き裂かれ

報告:三原弟平
<「兄弟殺し」の奇妙さ―同化の拒絶あるいはきまぐれな語り>
殺人者シュマール
→凶器のナイフの刃先の乱れを直すため、片足を上げ、その上げた足の靴底で「ヴァイオリンを弾くように擦っている」
→滑稽味

目撃者パラス
→「どうして近くの三階にある自分の部屋の窓から、全てを観察していた年金生活者パラスは、こうしたすべて(殺人事件)に耐えたのか?」
「人間の本性を測れるなら測ってみるがよい!」
「でっぷり太った身体にガウンをまとい、パラスは首を振りながら見下ろしていた」
→パラスより上位の「語り」

ヴェーゼ夫人(被害者ヴェーゼの妻)
→一行のみの記述

被害者ヴェーゼ
→首の右側に、それから首の左側に、そして三度目には腹に深々とシュマールは刺す。川ネズミを切り裂くと、ヴェーゼと似たような音を出す
→一片の同情心すらうかがわれない(無機的な)記述

「兄弟殺し」の異様さは、ひとつの殺人が「事実−観察」として描かれていることに由来する
<「事実−観察」Tat‐Beobachtung>
書くことの中にある奇妙な、謎に満ちた、おそらく危険で、おそらく救いをもたらす慰め。それは殺人者たちの列から踊り出ること、事実−観察だ。事実観察は、より高度な種類の観察をすることによってなされる。それはより高度の、であって、より鋭いというわけではない。この観察がより高度になればなるほど、《列》から手の届かないところに達すれば達するほど、この観察はますます依存しないものとなり、ますます固有の運動法則に従い、その道程はますます予測できないものとなり、ますます喜ばしいものとなり、ますます上へとのぼってゆくのだ。(1922年1月27日の日記より)

<「兄弟殺し」というタイトルに関する疑問とその解釈>
カフカが描いた絵(写真参照)
(左)犯罪者シュマール・ヴェーゼ         
(右)処刑機械の発明者・観察者パラス
カフカの結婚しなければ生きていけない、結婚しては生きていけないというアンヴィバレンツをシンボリックにあらわしたものではないか

<『父への手紙』にみるカフカの思考プロセス>
カフカの視点からの父へルマンに対する批判

ヘルマンの視点からの息子フランツに対する批判
「お前は父と戦うといいながら、その実、父に寄生している」
Ex.)婚約騒動
  「結婚したい/結婚したくない」というアンビヴァレンツの中で精神をすり減らしてしまわぬため、フランツが結婚しないようヘルマンが助けるために、ヘルマンが結婚に反対することをフランツは望んだ

それに対するコメント
まず、第一にその反論全体は、その一部はあなたから出たものとしてあなたに帰せられるだろうけど、しかしあなたの口から出たものではなくまさしく僕から出たものなのです。(中略)この(あなたからの)反論は、ぼくたちの関係を特徴づけるために役立つ新しいものを提供しています。(中略)この反論によって生じた訂正によって、ぼくの意見では真理に非常に近いものに到達しているため、その真理に近いものがぼくたちふたりを落ち着かせ、生と死をもっと楽なものにできるだろうと思うのです。(赤、三原)
なぜカフカは暴君としての父の姿を暴いたのと同じ真剣さで、寄生虫としての自分の姿を
父に暴かせるという作業を付け加えずにはおられないのか
カフカにあっては、なぜ書くことは「事実−観察」となるのか

<「判決」におけるパースペクティブの逆転>
父から息子ゲオルグに向けられた言葉
「お前はやっとお前以外に何があるかを知っただろう。これまでお前はお前のことしか知
らなかった」
「判決」以前のカフカは、自らのパースペクティブからしか、作品を描いてこなかった。

<演劇的叙事−異化をもたらすもの>
・語り
・身振り(通常の言語では言い表しがたい何か)
・現在性(結末がないことなど)

カフカの資本主義観>
貧者から富者という方向からの捉え方では、貧者を無辜の犠牲者とするだけに終わってしまう。むしろ、貧者が富者に依存しているという方向性で捉えていかないと、このシステムの真の姿は捉えられない。
≒ヨーゼフ・Kに対する花田清輝・粉川哲夫的捉え方≠ヨーゼフ・Kに対する実存主義的捉え方

<『訴訟』『城』におけるパースペクティブの逆転と長広舌>
『訴訟』第7章・弁護士フルトの長広舌
→主人公とともに裁判所を見ていた読者をもはや主人公と一体化(同化)できなくさせる

『城』第4章以降


討論
アフォリズム「彼」>
彼はふたりの敵を抱えている。・・・しかしそうなるのは理論の上だけである。なぜなら、このふたりの敵がいるだけでなく、なおその他に彼が居るからだ。そもそもだれが彼の意図を知ろう。とにかく彼の夢は、彼が監視されていない瞬間に−夜にかぎる。それもまだかつてなかったような漆黒の夜だ−戦列(kampflinie)をとびだして、その戦いの経験ゆえに、互いに戦いあっている彼のふたりの敵たちの審判者になることだ。

アフォリズムに見られるカフカの思考プロセス>
ステレオタイプをひっくり返す

さらにそこからズラしてゆく
Ex.)「求める者は得、探す者は見出す」(マタイ伝7章8節、赤字部をカフカがパロディ化)
  ↓
  「探す者は見出さない。探さない者は見出す」(単純な引っくり返し)
  ↓
  「探す者は見出さない。探さない者は見出される」(カフカによるパロディー化)