池田浩士・好村富士彦・小岸昭・野村修・三原弟平『カフカの解読−徹底討議「カフカ」シンポジウム」(1)

指導教官から又借りしていた研究書を読み始めた。この本は、1982年に出版されたもので、各研究者が報告し、その内容に関して全員で討議し合うという硬派なものになっている。以下メモ書き。私自身による補足説明や主観的解釈は色を変えて記述する。

<小岸昭−境界性としてのカフカ
[カフカ文学における境界性(≒プラハの境界性)]
日常/非日常、近代/前近代(「田舎医者」、「断食芸人」)、文化/野蛮、人間/動物(『変身』)、生物/無生物(「家父の気がかり」)、子供/大人(『失踪者』)、生/死(「狩人グラフス」)、精神と信仰を奉ってきた文化国民/言語以前の段階にとどまる武装未開民族(「一枚の古文書」)

カフカは、上記のような境界世界に立脚した作家であり、その中間世界を描いた。

「田舎医者」において、Sander.L.Gilmanは、フォークロア医療/近代医療という対比を述べていた。フォークロア医療とはいわゆる、蛭を身体に這わせて毒素を吸わせる、といった類のものである。

[独身カフカ]
父へルマン・カフカ(=職業生活・結婚生活)
フランツには、孤独への内的欲求があった。

[教養小説?『失踪者』]
曖昧化/明確化=教養小説のパロディーとしての『失踪者』/従来の教養小説
成長せず、少年(属性:純真・美)のままのカール・ロスマン。それゆえに、世俗の世界とは無縁。

池内紀さんが言うところによると、カフカはロスマンの年齢設定を17歳から16歳へと引き下げており、それは17歳だと大人過ぎ、15歳だと子供過ぎるという理由かららしい。

[オドラデク(odradek)の言語的意味]
odradekはチェコ語のod「〜から」、rad「種類」に由来しており、既存のあらゆる固定的な構造から脱落したもの、というような意味。しかし、解釈は定まっていない。

<討論−境界としてのカフカ
内容が豊富過ぎるので、キーワードだけ記述する。

プラハの特殊性/聖俗入り混じったユダヤ人街(=ゲットー)/アンチ・セミティズムの歴史/ドイツ系ユダヤ人/チェコ人に対するシンパシー/都市計画/衛生化/ゲットーの解体/名前(チェコ名=カフカ・ドイツ名=フランツ)/プラハに居続けるカフカ/ヴェルフェルとの相違/流行の父親殺し文学における位置づけ/Das Urteilにおける観点(父・息子ゲオルグ)/Das Urteilにおけるイディッシュ劇的身振り/Das Urteilにおける言葉(語呂合わせ・言葉遊び)/オクラホマ劇場に見るカフカアメリカ像/ヨーロッパとアメリカ/最高権力者のうなだれた身振り/中国/レーニの動物性(ベンヤミン)/ヨーゼフ・Kの接吻と吸血鬼のイメージ/カミュの異邦人とカフカの異邦人/オドラデクの多義性/境界(空間的・時間的・文化的)

<感想>
文学内在的な解釈論に留まることなく、プラハの都市構造、階級性、民族的アイデンティティー、言語、など様々な観点からカフカ文学が描かれていて面白い。「境界性」という概念は、山口昌男が一般化したものだが、彼の「道化」という概念をカフカ文学に適用することは可能だろうか。