カラマーゾフ人気にひとこと言いたい−ドストエフスキーだけが全てじゃないよ

亀山郁夫さんが訳された『カラマーゾフの兄弟』(以下『カラマーゾフ』)が、えらい売れているらしいですね。いろいろな場所で、レビューなどを読むと、「これこそが人間の本質を描いた書物だ」とか「これを読んで、人生の答えが見つかった」とか、興奮気味に書いてらっしゃる方がいらっしゃいますが、そんな単純なことを言っちゃっても良いんですかね。
僕もドストエフスキーが好きで、文庫で手に入るものは全て読んでいますし、研究書も少しは読んできたつもりですが、『カラマーゾフ』を全てが描きこまれた書物(byマラルメ)であると思ったことはありません。まぁ、『カラマーゾフ』に限らず、文学書全てにおいてそうですけどね。『魔の山』しかり。『オイディプス王』しかり。『悪徳と栄え』しかり。
重要なのは、『カラマーゾフ』を啓典として崇めること−単純化することーではなく、さらなる書物の森に分け入っていくこと−複雑化すること−なんじゃないですかねぇ。『カラマーゾフ』を読んで、ドストエフスキーに興味を持ったのなら、『罪と罰』や『白痴』を読んでみる。ドストエフスキーを読み終わったら、ドストエフスキーに影響を与えたとされるプーシキンゴーゴリバルザックを読んでみる。『カラマーゾフ』を複雑化の契機とすれば良いんですよ。
まぁ、本当に余計なお世話なんですけどね。ヴィトゲンシュタインみたいに『カラマーゾフ』を50回以上精読して、認識を深めていった人もいますから、『カラマーゾフ』万歳の人は『カラマーゾフ』ばかりを読んでも良いとは思うんですけれども。やはり少し気になったんで、書いてみました。僕もドストエフスキーのファンなんで、あまり単純なことを言ってほしくないんですよ。