ハンス・ツィシュラー『カフカ、映画に行く』

この本は10年位前に出版された本で、話題になるところでは随分話題になったみたいですね。この本は、カフカの小説のある部分ががある映画のある場面に似ている、というような非科学的な見地から書かれたものではなく、カフカが実際どのような映画を見ていたのか。そして、それらの映画をカフカはどのように受容したのか、ということが書かれてあるものです。著者は幾多のフィルム・アーカイブスを訪ね歩き、研究者に話を聞き、そういった地道な作業を20年に渡って続け、結実したのがこれ、というわけですね。
実はこの人、学者ではありません。役者です。ゴダールの『新ドイツ零年』を観たことのある方は、冒頭から出てくるのでご存知かも知れませんね。しかし彼は、ただの役者ではありません。ドイツでは「最も知的な俳優」と呼ばれているそうです。デリダを初めてドイツ語に訳したのがこの人です。メチャクチャでしょう?(笑)日本でデリダを語る学者(あるいは学生)の何%が原書を読んだと言うのか。僕なんて、日本語で読んだって、理解できないんだぞ(エッヘン!)。
冗談はさておき、実はこの本もメチャクチャな本なのです。ファインディングスの次元でも、表現の次元でも。ツィシュラーの知性がきらめいています*1。僕自身、まだ整理できていないので、紹介できないのですが、ブロートとの共作『リヒャルトとザムエル』と映画『白い奴隷女』の類似性に言及した件や、フェリーツェとの手紙のやり取りと映画、そして書くことの関係(あるいは「映画館」としてのフェリーツェ)を述べた件には、恐るべきものを感じました。興味深い図版も多く、当時のヨーロッパにおける映画状況を描いたものとしても価値のある本でしょう。何回か読み直して、メモを取った後、図書館に返還したいと思います。借りたい人、ちょっと待ってね。

カフカ、映画に行く

カフカ、映画に行く

*1:時折、思いつきを書いてしまっている部分もありますが