『ひぐらしのなく頃に解』放送休止

昨日、録画しておいた『ひぐらし』を観ようとして、テープを再生すると、「都合により放送内容を変更してお送りいたします」という旨のテロップが・・・また「メディア悪玉説」か、という感じですね(溜息)。まぁ、例の事件*1を受けてのことなのでしょうけど、この事件でショッキングな部分があったとすれば、凶器*2と殺害方法*3だけで、サカキバラ事件的な*4衝撃はなかったと思うんですがね。
僕が思うのは、残酷なものを観ようと思えば、いくらでも観られる現代において、このような放送休止が、いかほどの意味を持つのか、ということです。人が拳銃で撃たれたり、車で轢かれたり、動物に喰われたりする、そういう映像は、オンライン上で見つけようとすれば、いくらでも見つけられる。もちろん、それらは、片っ端から削除されるのですが、結局は、いたちごっこで、オンライン上から完全に消失することはあり得ないわけですから。『ひぐらし』や『School Days』を一話分放送休止にしたところで、誰が得をするのでしょう。観たくない人は、テレビを消すか、チャンネルを換えれば済む話ですし。
何が残酷で、何が残酷でないか、という問題も残ります。父親の首を斧で切断することも、女の子の腹を掻っ捌き、贓物を引きずり出すことも、同じく残酷でしょう。それならば、残酷でない殺人(あるいはその描写)など、ありうるのか。スティーヴン・セガールが、悪玉の首をへし折ることは、残酷でないのか。殺されるのが悪い奴なら、良いのか。だとすれば、善悪は、誰によって判断されるのか。結局、こういう問題に、きっちりとした答えを提出するのは難しいわけです。

*1:16歳の少女が警察官である父親を斧で殺害した事件

*2:ホームセンターで購入した斧

*3:断首

*4:殺害動機や被害者の選択理由が不明瞭