キライな人々

<注意>
このエントリーには、不特定多数(あるいは少数)の人々への誹謗、中傷が含まれています。気分を害される可能性もありますので、ブログを読んで和みたい方はお読みになりませんよう。

(1)自分のことをノーマルだと思っている人
僕の知っている女子の中に多い。そういう女子はたいてい、自分の友だちを傍らに座らせている。そして人の発言を聞くやいなや、その友だちと顔を見合わせ、嘲笑を浴びせかける。「ありえない」的なことを言って、頷き合う。その前提には「自分達はノーマルである」という考えがあると思うのだが、その考えを担保してくれるのが、その狭い友人関係であったりする。
(2)柔軟な人
自分の周りに限って言えば、そういった人たちの柔軟性が発揮されるのは「就職活動」以降であり、彼らは就活期になると、あたかも自分が目的意識を持って学生生活を送ってきたかのように振る舞い始める。そして、「自分が喜びを感じるのは、人のために何かをすること」である、といった自己啓発系の幸福論を周りに喧伝する。その癖仕事に就けば、やれ仕事が詰まらないだの何だのと、上司の目の届かないところでぼやき始める。そして、異性の前ではミッションに燃えているビジネスパーソンを演じるか、あるいはそのタイプに応じて甘えたりもする。
(3)大問題意識野郎
これは男子の方が多いと思う。自分の部屋をキレイにしておくことすらままならないくせに、秩序を重んじ、世界の秩序のために、自分には寄与できるものがあると思っている。国家や倫理の堕落を憂い、差別主義者を徹底的に差別し、素朴に生きている人たちを軽蔑し、「あいつらには問題意識がない」と罵る。自分自身のことをリベラル派だと認識しているにも関わらず、自分の恋人には忠誠を求め、自分の恋人が冷たいのは「社会のせいだ」と実存の問題を社会に投射する。結婚した後は、ニュースを観ながら、連れ合いや子供に対して、そのニュースの背後にかくされた問題を指摘・解説し、教育問題を嘆きながらも、ちゃっかりと自分の子供は私立に通わせる。

こういうことを書き始めるときりがありません。大別すれば、自分のベタさに気づいていない人間と、首尾一貫していない人間ということになるでしょうか。まぁ、こういうことを言っている時点で、僕自身が不寛容な人間であることがバレてしまいますが。こういうエントリーはもうしません。先述したようにきりがありませんし、自分自身の首を絞めることにも繋がりかねませんから。とはいえ、こういう人たちはキライですねぇ。他にキライなのは、やはり自己啓発系でしょうか。生理的に受けつけませんね〜。